本学園80年余の礎を築いた創立者堀榮二先生は、明治19年(1886年)10月、紺屋業を営む堀松次郎 氏の次男として名古屋市中区裏門前町で生まれました。市立名古屋商業学校を卒業後、明治38年(1905年)11月、アメリカヘの留学の途につき、大正2年(1913年)1月に帰国するまでに次々と学位を取得しました。
創立者は、自ら研鑚した米国式の商業教育でもって社会で直ぐ役立つ実業人の達成、実業教育に一生を捧げようと、「英習字簿記学会」(大正4年(1915年)以降は自ら好んで享栄ビジネスカレッジ(K・B・C)という呼称を使用)なる私塾を大正2年 (1913年)6月、名古屋市中区南呉服町に開設しました。これが享栄学園の第一歩でした。創立者は朝4時には起床、門前、庭などを掃き清め仏前で勤行を欠かさない信仰の人でした。毎年5月の善光寺参り、亡父たちが建立した善光寺堂を大正15年(1926年)に天池町に移し、昭和5年(1930年)には本堂を建立、また民間信仰にも強い関心を持っていました。教育方針は米国で修得した商業教育を基礎にしており、その着想は斬新で、海外修学旅行や商業教育実習のための享栄デパートの経営など目を見張らせるものがありました。
太平洋戦争中の昭和20年(1945年)、二度にわたる空襲で享栄学園は焼け野原となりました。終戦後、軍需工場などで細々と授業を続けましたが、創立者は昭和21年(1946年)4月9日、突然の病で花の季節に先がけて急逝しました。享年60才。学園復興の悲願は堀敬文理事長に引き継れました。